学問の小部屋

ここは学問の黒板です。

終了後

発表後、最後の質問をしたM多先生(同じ大学の知り合いの助教授の方)と一緒に昼食をとることになった。この発表については、「精神エネルギーというものを考えたとして、定量的な実験事実があるのならば認めざるを得ない」という、僕と同じ理解をされていることがわかった。
また、トンデモの発表は今まで何度も物理学会であったんですよね、ということを話すと「しかしあそこまでひどいのは見たことがない」とのことであった。

勿論、”信じがたい結果”であっても確実な再現性と定量性があるのならば、客観事実として科学的研究の対象とはなるだろう。その結果、何か新しいことがわかることを”科学の発展”と呼ぶのであり、既存の常識を破っていくこそが進歩である。しかし、ほとんどのトンデモについては理論も実験も支離滅裂であり、科学者側が採り合う態度を示すには何一つ条件を満たしていないのが現実である。
(勿論今回の発表では全く示せていない)
僕が行っているトンデモの定義とは、「既存の学問で片がついていることを掘り起こして滅茶苦茶なことを言い出し、しかも内容がナンセンスであるもの、もしくは未知のものに対して、何の検証も行わず断定的結論を下して商売を始めるもの」である。科学の最先端では、常に自分がやっていることを疑う態度は必要であるとはいえ、これを成功させるんだという強い信念も必要であるから、ニセ科学に転ぶ危険は常にはらんでいるともいえる。
だからといってそんなものできっこないからやめろというのは知的好奇心の減退につながるだけであり、科学とニセ科学の間には広大なグレーゾーンがあることを改めて感じる。
忘れてはならないのは、"未だわかっていないことについては極端な言い方をすれば”何を言っても良く”、「実証主義科学的態度を貫き未知のものを研究した結果、仮に間違ったとしてもそれは責めれれるべきものではない」ことである。

次に物理学会でなんでこんな発表が行えるのかについて書いておく。

知らない人は驚くかもしれない。実は、物理学会の発表には審査がない。学会員であれば、会員の権利として規定の料金を支払いどんなことでも発表することができる。実は今回、もうひとつ大きな「飯田物理学」というナンセンスな発表があった。飯田修一という東大の名誉教授が、核物理をやっている身からすれば非常にナンセンスな研究を続けているらしい(僕は見にいけなかったので多くは語れない)
過去にも「UFOの飛行原理」とか「重力発電」とか「タイムマシン製造法」とかの発表も行われている。
なんでこんなことが許されるかというと、これも知らない人は驚くかもしれない。物理学会の発表は研究者の業績にならないからである。個人のHPで持論を展開するのと根本的には違わない。
むしろ、自分の研究を広く知ってもらうため、また人前で発表することの経験を積むためといった意義が大きい。

また、日本物理学会誌に論文を投稿するということも、ほとんど業績にはならない。文部科学省の方針で、ほとんど海外(主にUSA)の科学雑誌に投稿された数で研究者の点数が決まってしまうからである。

ちなみに、音の世界では・・日本音響学会での発表、学会誌への掲載は、分野が小さいということもあるのかかなりの権威があるようである。

以下は鹿島勇の感想である。
発表内容については、上に書いたそのままなのでもう何も語らない。一言、ナンセンス。
内容以外について気になるところがあったのである。
ひとつは、発表者が終始自信なさげで、どうも見ている限り自分でも心底信じている様子ではなかったことである。M多先生とも話していたことで、自分でも信じていないとすれば一体どのような意図で発表したのか、それが読めなかった。江本グループとしては自分の商品に「物理学会で発表、話題沸騰」とでも書きたい意図があるとしても、高尾氏本人がこの研究によりメリットを得ず、むしろデメリットを被っている事実、何より自信のなさが混乱の原因であり、この記事を書くのが遅れた理由でもある。現在は、おそらく高尾氏自身もどのように振舞えばよいのかわからない状態に陥っているのではないか。
もうひとつは聴衆の態度である。確かに内容を現場で見れば笑ってしまうのはわからないではないが、最初から何の発表かわかっている連中は終始ニヤニヤとしていた。トンデモ叩き(特にと学会関連)の連中はこのような態度でトンデモに臨むことが多いようである。
このような態度は非常にマズイ。不真面目な態度が気に入らないというのではなく、一般市民に与える印象である。(物事をどのように解釈するかは笑おうが泣こうが個人の自由である)
マイナスイオンなどのトンデモ(+その商売)に対応する上で、忘れてはならないのは一般市民は科学的に正しいか間違っているかは基本的に判断できないということである。批判する側が仮に科学的に正しいことを主張たとしても、ふざけた態度で臨めば(例えば、 (^^;; とか m9(^Д^)プギャー とかの顔文字を使ったり、ギャグを交えたり)、市民に対する啓蒙活動としての批判は失敗する。市民は印象で判断するからである。
だからと学会をはじめ、この手の連中の批判方法は好きでない。少し考えればそれくらいのことは思い当たるのに、結局ふざけた態度を取り続けるのであれば何をやりたいのかがわからない。

また、今回は質問にも問題を感じた。ほとんどの質問は「水伝」を前から知っている人のはじめから用意された質問であり、今回の発表を聞いての質問ではなかった。(例えば二重盲検法など、今回はICPを使ったデータがメインなのだから、真っ先に出てくる言葉ではない)おそらく発表者も聴衆も今回のような顛末になるのはわかっていただろうから、予定調和ならぬ予定混乱である。

少し話は変わり、僕自身もぱっと見るとふざけた態度という感じで批判をしたことはある。例によってAVに関することで「炊飯器の電源ケーブルを変えたら米の味が変わるかどうか、ブラインドテストでやってみたら?」ということだった。
これは、印象としては確かにまずかったのではあるが至って真剣な提案である。このような実験で信頼できる結果が出たならば、精神エネルギーといったものをもう少しまともに考えてやってもいいかもしれない。しかし、現状ではトンデモ側から信頼できるデータが出ることは皆無であり、実証主義科学の立場を取る者としては”検証不要”の一言である。(してもいいけど)

追記
こんな辺境の学問の黒板にしては珍しく、トラックバックというものを頂いた。少し僕の言葉が足りなかったようで誤解めいたことを起こしてしまったようだ。よって追記。

発表後の部分で書いたように、物理学会はかなりラフな場として会員には認知されている。参加者の服装も私服が多い。トンデモ系の発表には拍手がついたりもする。これは遊びの場であるということではなくて、発表により何か審査されるような場ではないということである。発表者も聴衆も、普通は真剣そのものである。しかし、今回の発表で聴衆が笑ったのは、現場にいたら仕方ない部分はある。(いきなり、次は「愛・感謝実験」とか言い出すのだから・・・)

  • と学会と顔文字

本文でも書いてあるように、”と学会のような態度”や顔文字をふんだんに使った態度が好ましくなく、また一般に対する印象も悪いということであり、と学会が顔文字を使っているとは書いていない。(と学会員が主にネット上で顔文字を多用することはある。菊池先生もそれに当てはまる)

  • 科学的根拠に基づく批判

本文ではこれは当たり前のこととして書かなかった。勿論、トンデモに対して「これはこうだから間違っている」ということを明確に示しておくことは必要である。しかし、誰が見てもわかるような無茶な話に「それはね・・・」と切り返すのはあまりにも疲れるし、次々出てくるトンデモ理論に対しては対応しきれないことが多い。科学者も「市民も、知識がなくてもセンスで判断してよ」と言いたいところであろう。しかし、今までの事例を追いかけると、市民は印象で判断するという結論に至ってしまう。(反対に、「センスがあれば知識がなくとも判断できる」という人は、おそらく信奉者と議論したことが全くないのだろう。)

学問の黒板では、世の中を支配しているのは科学的事実ではなく市民感覚であるとずっと主張してきた。常に科学者側は負けているのである。
このように書いている鹿島勇にしても、自分の専門分野については(主に物理学)多少の判断力を持っているかもしれないが、専門外の分野については、大いなる誤解や間違いを大量に抱えていることだろう。
自分で判断する力をつけるためには様々な知識が必要なのであり、科学者だから、市民だからというよりは、自分でいかに知識を吸収したかである。