学問の小部屋

ここは学問の黒板です。

なぜニセ科学批判はメジャーにならないか

今回のお話は、学問の黒板にて最も人気のある(?)
http://d.hatena.ne.jp/kazima/20061003
からの流れの続き。

世の中にはろくに検証されていない、いわゆるトンデモ理論やオカルト論法がたくさんある。完全に論理を無視しているものはともかく、一見科学的な研究結果を基にしているように装いながら、実際は支離滅裂な論理しかないものも色々と存在する。このようなものに対して科学者はどのように対処するか、科学的な考え方や統計、誤差、検定の考え方が確立していなかった時代(ミリカン、メンデル)、まったく無視するという態度が主流だった時代(ラマヌジャン)もあれば、そんなものデタラメだと怒った時代(大槻教授)もあった。
その後長い時間をかけて科学者はニセ科学という言葉を生み出し、ニセ科学に対してどう向きあっていくかを真剣に考えるようになったが、「科学的行動を起こしている」にもかかわらず、一向にそのような運動がメジャーになり、誰もが知っているような状況にはならない。それはニセ科学批判の立場を取るためにはある程度科学について勉強しなければならず、それをしない(時間がなくてできない、やるつもりもない、やらなくても日々済んでいく)人々にとっては興味を持てるようなものではないからである。
この段階では、ニセもんじゃ!と批判すれば、そっちこそニセもんじゃ!と返されるのがオチである。
さらに、ニセ科学批判には根本的な問題がある。ニセ科学を批判することは、少々の科学的知識があれば対応することができるが、批判したところでまったく科学者の業績にはならない。ニセ科学批判をおおっぴらにやると、そんな暇があるなら本業の研究をしろよ、と言われてしまう。
即ち、ニセ科学批判をメジャーなものとするためには、より多くの人々の興味を引く魅力的なものとする必要がある。誰もにとって魅力的とは、面白い、儲かる、嬉しいのいずれかに関係する必要があり、残念ながら現在のニセ科学批判はどれにも関係していない。何らかの突破口を開くべく、日々思考していくしかないようである。