学問の小部屋

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天ぷらそばの一般論・補足

今回は天そばの料理法ではなく、マナーのお話。

スパゲティを食べるとき、音を立てて啜って食べるのはマナー違反であり、逆にそばを食べるときは勢いのよい音を立てて食べるのが通とされる話は今まで散々話題となっている。

マナーという考え方は、基本的に周りで見ている側が不快に感じないことを大前提としている。
例えば、フレンチのコースの正式な食べ方(マナーと言うよりもルール)を知らない集団が適当に食べているときに、一人だけ「正しいテーブルマナー」で食べている人がいたとしても、それは全然マナーを守っていることにならない。
そのようなとき、可能であれば簡単に「テーブルマナー」を教えながら食べるか、そうでないときは周りの人に合わせてやるのが思いやりである。マナーとは日本語にすれば思いやりの心である。

それでは、スパゲティを啜る話にあてはめるとこれはどうなるか?
欧米系の人々が集まっているようなところで音を立てて啜るのはやはりNGである。対して、そば屋でまったく音を立てていない客も傍から見ていると気持ち悪い。そば屋ではそばを啜るのが「マナー」である。

一年ほど前に「ダーリンは外国人」というマンガを元にした映像が関東圏のJR車内では放映されていた。このとき登場したイタリア人の結論は「啜る自由もあれば啜らない自由もある」であった。しかし、そばを啜らない自由を主張するのなら、スパゲティを啜る自由も認めるべきである。これはどちらも「ルール」に関することであり、上で述べた「マナー」とは別物だからである。

このような意味で、西洋人の麺類の食べ方には他にも「ルール違反」がある。西洋人は基本的に箸を使えないので、往々にしてそばやうどんをフォークで掬い上げて食べる。日本の伝統的な考え方からすれば、「握り箸」で食べることもルール違反であるから、フォークで食べるなど言語道断である。しかし、通常日本人はそのような外国人を不快には思わない。それは外国人なので仕方ないということを誰もが了解しているからである。逆に、西洋でスパゲティを箸で食べるような真似をすれば、周りから奇異の目で見られることは必至である。そのような意味で、西洋人は異文化を下に見る傾向があり、他者を理解するという意味では日本人に劣っている。

更に、日本人がどうしてスパゲティを啜ってしまうのかを考えてみよう。
そばと同じようなものと考えてしまいがちなのは、やはりその形状にある。スパゲティは細長い棒状をしているので、中華めんと同じく非常に啜りやすい形状をしている。予備知識がなければ啜って食べてしまうのは仕方がない。
しかしながら、そばとスパゲティにはその料理法に大きな違いがある。そもそもそばを啜るのは、細長い形状もあるが丼状で熱が逃げにくい容器に熱々のつゆを張っているところから直接引き上げて食べると温度が高すぎるからという理由が大きい。
それに対してスパゲティは熱い汁物の中に浸かって出てくるということはほとんどない。スープはスープ、パスタはパスタである。
日本人にはそういう区別の意識がないので、スパゲティをそばと同じものと認識して啜ってしまう。
また、そばは非常に水を吸いやすく、伸びやすい食べ物である。同じ食堂でそばとうどんを食べたあとのつゆの残り量を比較すればわかるように、明らかにそばの方が水を吸ってつゆが減っている。この水分のせいで啜りこんだときに大きな音を立てる。
逆に、西洋人はそもそもそばを箸で食べることができないので、あまり音がどうこうと言いだしても仕方がない。

以上のようなことから、他者との相互理解を進めてルールとマナーを考えていくための方法を考えると、やはり人前ではできるだけ「正しいテーブルマナー」を心がけるということであろう。もちろん、最初に出した例のように、一人で守っているだけではなく、周りに合わせたり時には広めていくのが大事である。郷に入れば郷に従えというように、その場に合わせた振舞をするのが大切である。

最後に日本人がスパゲティを食べるときのコツを書いておく。フォークでくるくると巻いて食べるということは誰でも知っているが、何も考えずにこれをやると結局フォークからデロンと垂れさがってしまい、巻き取った意味がない。
フォークで巻き取るコツは、皿に対して垂直にフォークを立てて少量を巻き取り、最後まで巻ききってダンゴ状にすることである。このとき一度に大量のスパゲティを掬おうとせず、できるだけ少量を巻こうとするとよい。そうすればちょうど一口分を巻き取れる。


さてさて、次回の一般論はパスタの話にでもしようか。