科学のエントリーで
さて、やっと「発掘!あるある大事典」の捏造が大々的に報道されました。
今まで何度もニセ科学には触れてきたし、前からリンク集に追加してある「ポチは見た」「発掘?あるあるトンデモ大実験」などを読めばいかにテレビの健康番組がおかしいかはよくわかると思います。
一般論として指摘する点は簡単で、「科学実験はそう簡単に結果が出るものではない」という認識が視聴者に抜け落ちていることに付け込んだトリックだったということ。
もう少し、テレビの報道*1
番組作りとテレビ局の対応を見ていれば明らかなように、毎回何らかの演出をしないとあんな都合のいい結果を出す番組を毎週放送することなんてできない。それは、学術の分野では「捏造」と呼ばれるものであり、またテレビ界では「やらせ」と呼ばれるものである。それは何もあるあるに限ったことではなく、他局でのコメントもどこか皆歯切れが悪いのを見ればわかるように、どんな科学番組、情報番組にもそれは入っている。(ただし、本質を損なっていないかどうかという程度の問題はある。その点、僕が認められる構成をしている番組はNHKのものくらいしかない。捏造、演出を前提にした上での話である。)
しかし今回驚いたのは、視聴者があそこまで単純に放送内容を信じ込み納豆騒ぎなども起きて、テレビ局に対しても抗議の電話が大量に入ったということである。僕は、インターネットの普及、情報の氾濫によってもう少し大衆は知識をつけたと思っていた。しかしその感覚は間違っていたようである。「一体何を信じればよいのか」
などという言葉が散見されるのもそこから来ている。
ある程度科学的に生きる人間ならば、少なくとも入ってくる情報に対して多少は弁別能力を持とうとする。そこには「何かを信じる」ということはほとんどしなくてもよい。科学は信じるものではなく、理解するものである。すなわち、入ってきた情報を鵜呑みにして一喜一憂し、ワーワー騒ぐのではなく自分で何が正しく、何が間違っているのか裏づけを取って勉強しようという態度を身につければよい。そうでなく、テレビのような受身の情報にだけ踊らされていては、まさしく操り人形である。健康になるための自己努力を全くしない者には、どんな「体によい食べ物」が提供されようが、健康にはなれない。
具体的には、健康に生きるにはバランスのよい食事と適度な運動、精神的にもストレスをためないという当たり前のことができていればそれでよい。それをやらないのに、微々たる金をかけて「健康食品」に走るような輩ばかりであるからこそこのような問題が出てくるのである。
もちろん、今回の問題が視聴者に責任があるというのではない。悪いのは製作者である。
さて・・・今現在の報道でほとんど問題にされないことを炙り出すのも、学問の黒板の流儀である。
一連の報道にて早々に欠落してしまったのは、「スポンサーの問題」である。
あるある大辞典は、花王という会社の単一スポンサー番組である。すなわち、スポンサーである花王にとって有益な番組を流せるときにはそのような構成にする。民法ならば当たり前のことである。例えば、お茶が「体にいい」(わざと抽象的な言葉を使っている)といった内容ならばヘルシア緑茶のCMが入るし、コレステロールの話題ならばエコナ揚げ油が出てくる。あるある大事典は花王の太鼓持ちであるし、そうであることを非難することはできない。民放のテレビ番組のストーリーは、基本的にスポンサーで決まるからである。民放である以上、逃れられることはできない。そんなバイアスのかかった情報番組は嫌だというのなら、せめてNHKの番組を見ることである。
さて、花王の責任とは何かといえば、自社にとって有益になるような番組制作を促す圧力は当然あったはずであるから、その上で科学が捻じ曲げられたことがあったことは十分考えられる。おそらく、資金をもらっている以上製作者が「スポンサーの意向で」の一言を白状することはまずないと思われるし、他局も自分のところのすべての番組で行っていることであるから、それを追求することはない。インターネットなどの媒体を使わないと得られない指摘である。
さて、外部の調査団が組織されたという報道が為された。構成メンバーを見ていると、一人も医学者や生理学者、薬学者といった身分が見えない。視聴者にとって最も大事なのは、今まで放送された内容の何が間違いで何が正しいかではないのだろうか。今回のメンバーでは、テレビ局の組織としての問題点などは指摘できるかもしれないが、視聴者が知りたいことを究明することはできないと思われる。しかし、一人でもまともな識者を入れてしまうとほぼすべて捏造でしたという結論になると思われることから、それはまずいということなのだろう。
あるある大辞典は毎回捏造と呼ばれる行為は行っていたと判断できるとはいえ、おそらくすべて明るみに出ることはない。(すべて出してしまうと、それだけで今までのあるある関連書籍全ページ以上の報告書ができあがることになるだろう。)
阪大の捏造よりも先にこっちを先に書いたのは、この時期を逸すると読者の心に残らないのではという危惧があったからである。いずれあっちも書かないと・・・。
なお、mixi内のあるあるコミュニティは悉く壊滅したようである。
ああ、あほらしい。