学問の小部屋

ここは学問の黒板です。

素直にお祝いを

注:今回の記事では、素粒子原子核物理学の用語を敢えてそのまま用いている。

本日のニュースによれば、string理論を始めた南部先生とCKM行列の小林・益川先生がノーベル賞を受賞したとのこと。

南部先生には去年の夏ごろに一度お会いした(講演で見かけた)ことがあった。シカゴでの研究活動の一方で、一年の半分は実家のある大阪で過ごしているはずなのでもっと見かける機会があってもよさそうなものだったが、鹿島勇が直接邂逅したのは一度だけであった。
QCDにノーベル賞が与えられたときになぜ南部先生でなかったのかという議論もあったくらい、素粒子物理の世界ではトップエンドの業績を残している方である。

小林・益川の両氏は、ノーベル賞はある程度一般受けする(研究の中身は理解できなくても、漠然と何をやりたいのかが誰にでも伝わる)研究分野が受賞することが多いのに対してクォーク物理の一部分という印象が強いため、偉大な業績ではあってもノーベル賞にはならないのでは、というのが鹿島勇の周辺の学生らの見解であった。(これはCKM行列に与えられるかどうかという話で、今回の受賞理由とはずれがある)

学生の理科離れ云々という話は、素核分野ではあまり関係ない。物理学を志すような学生は、入学の時点で「万物の究極の物理」である素粒子物理に興味を持っていることが多く、素粒子理論の研究室がある大学ではほぼ一番人気であることが多い。故に人材不足(人数という意味)などはまず考えられず、むしろ素粒子で博士号を取った人間がアカデミックポストに対して多すぎて就職にあぶれているのが現状である。

ともかく、今回三人の日本人が生活に直接関係のない素核分野でノーベル賞を受賞したことで、近年予算が縮小傾向にあった基礎物理が軽視されなくなるのなら本望である。
上記のポスドク就職問題の解消の一助となるのなら、それもまたよいことであろう。

なお、このような日常とかけ離れた話題が出るたびに、すぐ「何の役に立つのか」という話が出る。この件については明確な説明を与えておく。
基礎科学というものは、企業でやっている研究とは違って直接実用になるものでないことが多い。
実用という尺度だけなら、美術や音楽などの芸術も何の実用にもならないが、芸術を否定する者はあまりいない。基礎科学は実用を求める文明活動というよりは、芸術に近い文化活動と解釈することができる。これはどちらが偉いというものではなく、どちらも人間が知的生命体として成長していく上で必要なものである。故に、役に立たないという批判は当たらないのである。
逆に、芸術も物理も直接儲かるものではないため、そのような分野で生きていくのは至極困難である。今もって芸術も学問も「貴族の遊び」である。

今回はノーベル賞の内容を説明するのではなく(もっともweblogの一記事でできるようなことでもない)、素粒子原子核物理の立ち位置と基礎科学について久しぶりに触れてみた。
今回の記事ではあまり伝わらないだろうが、鹿島勇は今回の受賞について心底喜んでいる。
素直なお祝いとして、受賞おめでとうございますという言葉で結んでおく。