学問の小部屋

ここは学問の黒板です。

テーマが重いだけにどうしようかと思ったものの、時期が時期だけに書いておこうと思いました。

尊厳死安楽死というものは認められるのか。
いかなる場合も人が人の生命を奪うのは殺人に他ならず、認められないという人もいるでしょう。
しかし、既に周りの状況を把握できずに意識がしっかりしていない状況で多少の延命治療をすることに意味があるのかと言われると、これはとても疑問であります。

既にある程度の議論は尽くされているから、今は本人の事前の承諾、家族の承諾があれば尊厳死はOKということになっているようです。
今回の事件のような、書面という形での証拠がないと裁判になった段階で誰の証言を信用して判断するかということになってしまうので、誰かにとっての納得できる結論が他の誰かにとっては納得できないということにもなってしまいます。
今回の事件を機に自分の意思を明確に示そうという人が増えてきたようなので、これは歓迎すべきことです。
一番大事なのは、本人の意思です。
いざというときに自分がどちらを選択するか、今まではこういったトピックについて語ることがあまりなかったのでしょう。
さて僕はといえば、自分がそういった状況に陥ったら・・・
尊厳死を採用してもらいたいと思います。
それ以上に家族に医療費を負担させてもメリットがあると思えないし、国の医療費システム全体にも全くプラスとならないし、資源も無駄遣いになるので地球全体のエントロピーも無駄に増加するし。

これは、葬式というイベントにも関わってくることです。
僕自身は、今のパラダイムとして人間はまさしく「死んだら終わり」だと思っていますから、自分が死ぬことによってかかる費用を水増ししたいとは全く思いません。
だから葬式はできるだけ簡素なものにして頂きたいし、あまり仏教徒とも言えないので仏式の供養というものも必要がないと思っています。
では今までの自分の家族の供養はどうかと言えば、合理的に考えればそんなものはいらないという風にも解釈することはできます。しかし、供養を全くしないことによって親類間の人間関係が悪くなるとすれば、それは市民生活にとってプラスにならないので、実利を取るという意味で供養を普通に行おうという選択となるわけです。

いつの日か、人間は生とか死とか、そういうありふれた命題を乗り越えられるくらいの叡智を持てるといいな。