学問の小部屋

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科学はなんで正しいのか

某所にて、ポエムを書く機会を与えられたので(?)
そのときのコピーを元にして記事を書く。
(本文章は掲載後かなり後になって編集した)

>マックスウエルの電磁気学も、相対性理論もそれは正しい物ですが,
>近似値であり、量子力学を含んでいるわけではありません。つまり、
>科学が不完全、分かっていないのである、という事を十分認識した上
>で研究することが科学であって、断言することは間違いであるという
>事です。

以下、実証主義科学の立場を取ることを前提の上で書く。
>マクスウェル理論
相対論という言葉が出ているので、むしろ古典力学と比較することにする。
古典力学は正しいか?光速に近い慣性系ではローレンツ変換しないとダメ。
ミクロの世界ではどうか?物質の波動性が効いてくるのでシュレディンガー方程式に置き換えないとダメ。更に相対論的な場なら場の量子論が必要になる。
・・・と、物理学では今までずっとわかっている部分からわからない部分へと定式を拡張してきた。”常に疑問を持ち続ける事”によって進歩してきたものである。
既存理論が絶対に正しいと思っていたら、新しい(=既存理論に外れる)結果を得ることはできない。新しい理論や実証を捨て去ってしまうからである。よく科学者は頭でっかちで融通が効かないという偏見があるようである。しかし、僕の知る限り、そういう人で科学者を続けている人を見たことがない。
むしろいかに柔軟な発想で新しいことを見つけるかが科学者の仕事であり、こういった偏見はとてもナンセンスである。マジックを見破れなかったら頭が固いわけでもない。

よく言われるように、物理法則はすべて近似だというのはまったく正しい言葉である。
どんな実験結果でも、理論と厳密に一致させることは不可能である。測定値には必ず有限の分解能があり、測定値には有効数字がある。それ以下の領域を語ることはできない。だからこそ誤差論や統計学があり、どこまで一致していれば正しいと言えるかということが重要となる。
現在の科学の定説はなぜ定説たり得るのか。今までに十分な回数確かめられ、現在の測定分解能の範囲では理論が実験結果と一致している、それを以って「科学的に正しい」と言うことができる。それ以下の分解能ではわからない。(予想は立ててもよい)
現在の定説が分解能無限小でも正しいのであれば、わからないことが存在しないのでもう科学者の仕事はないことになる。

もちろん、以上のことは「実証主義科学の立場を取るなら」であり、そうでない人にはあてはまらない。すべてを宗教的に理解する人ならば、一言「万物は神の意思である」で片付けることもできる。
「すべての法則は神の意思」
「世の中の不思議なことは神のきまぐれ」
などと、まったく矛盾なく説明をつけることが可能である。科学的にどうこうとか難しいことを言い出さない分すっきりしていいかもしれない。しかし、こういう主張は「反証可能性」を持たないので、実証主義科学では通用しない。しかしこういった立場を取る人は存在してもよい。これは既に解釈の問題なので、科学的、論理的に話をするような問題ではない。ただし自己責任である。
しかしながら、実際のところはむしろ後者のような人の方がはるかに多いと感じる。
全く科学を学ばないで科学的立場を取ろうとすることは困難である。科学的でない方が市民生活としては楽である。
マイナスイオン、磁気水、クライオ処理、波動の真理、ピラミッドパワー、生命エネルギー、タウリン1000mg配合、DNAスイッチといったニセ科学に踊らされても生活には困らない。むしろこれらは見かけ上日常の疑問を一気に解決してくれるかもしれない。こういう分野が得意な人の総意が今の一般的な市民感覚を生んでいて、様々な分野で「科学は不十分で、何か神秘的な力が働いているのだ」と考えるようになってしまうのである。多くの場合それらは既存理論で片がついているのに、である。

最後に、
ガリレオのように、間違っているといわれて後年認められた例はたくさんある。しかし、科学的に間違っているといわれて捨て去られ、後になってもやっぱり間違っているとされていることはそれより遥かに多い。つまり、ニセ科学ニセ科学であり、間違いは間違いである。」