学問の小部屋

ここは学問の黒板です。

本当に世の中には色々な人がいます。

以前は、個人の趣味はどのようなものを持ってもよいという意味ではそう理解していました。
しかし、そういう意味を超える部分でそうらしいということについて記述します。
僕は科学的事業に従事していると自負しており、そのような立場であれば、正しさとは
「測定できる分解能の範囲では自然現象を矛盾なく定量的に説明できること、更に少なくとも論理的であること」
と定義されることと思います。
しかし、科学的立場を取らない人にとっては違うようです。
以前話に出した「再現性」についても似たようなことが言えます。
再現性を認めない立場を取ること自体は、言論の自由の観点から認められるものです
(つまり、今日ニュートン力学が成り立っているから明日もニュートン力学が成り立つとは限らないと言い出すこと」)。
解釈の問題であれば人はどんな思いを持ってもよいので、そういう解釈をする人間がいても構わないのです。しかしここで間違えてはいけないのは、正しさの基準を異にする人とは論理的に話をすることができないことです。
「神が言ったから正しい」「何をやっても音は変わる」「科学者は頭でっかちなだけ」といった、反証不可能な命題を掲げて思考停止をしてしまう人とは、議論を展開することはできません。
故に、対話に必要なものとは
定量的、少なくとも論理的であること」
「原理的に反証可能性を考え、相手に対して紳士的であること」
「命題が解釈の問題でないこと」
です。
これらを満たさない場合、僕は取り合わないことにしています。