学問の小部屋

ここは学問の黒板です。

人間活動とエコロジー

今回は一般論シリーズに組み込むほど練っていないため、「言論」タグで書くこととする。
原油高騰、地球温暖化について目にしない日がないくらいであり、環境問題を重要と考えている人は多いだろう。

以前リサイクルについて少し触れたように、「もったいない」をキーワードにしたリサイクル、リユースシステムにはエントロピーの観点からもっと突っ込んで考える必要があることを提示した。
リサイクル、リユースは元々何らかの人間の消費活動の廃棄物として出てきたものを再利用するというものである。
また、例えば無駄な待機電力をカットしましょう等の省エネアプローチにしても、基本的には人間が使わないときのエネルギー節約、あるいは同じことをやるなら消費エネルギーを抑えたものを使おうということである。

しかしながら、実際に最も大きなエントロピー増加を招いているのは人間活動そのものである。
本当に環境問題を意識しているのであれば、テレビの待機電力を気にする前にテレビを見ること自体を気にするべきである。
現在の環境問題に対する一般市民のアプローチは、人間活動の利便性は死守した上で無駄になるものを削減しようというものと言える。
決して人間活動を抑えようとすることはないし、それが最大の問題だということに気づいている者すら少ない。

環境のために今日はテレビを見ないでおこう、電灯をつけないでおこうなどと考える者は存在しない。
少子化が進んで人間が減れば消費エネルギーも少なくなり、環境にやさしいと理解できる者も少ない。
環境保護とは「人間にとって都合のいい環境を保護すること」である、即ち人間のエゴに含まれるものだと理解している者も少ない。

本来人間活動は人類の繁栄そのものであるから、人間が減ることや人間活動を抑えることは本来「人間のエゴとしての環境保護」に矛盾しており、本末転倒だと考えることもできる。しかし個人の人生と同じく調子に乗って暴走した結果自滅するのでは意味がないから、やはり節制(人類全体という意味で)には意味があると考えるべきである。

日々考えてはいるものの、残念ながら鹿島勇はどのように人類が人間活動をコントロールしていけばよいか結論を出せていない。最も簡単なのは人間の数が減ることであろうが、世界人口は増える一方である。短期的には減少を望めるべくもない。生活をコントロールしてエネルギー消費を抑えるということもなかなか難しい。自分一人だけが死んで一人分のエントロピー上昇を止めるわけにもいかないし、意味がない。

しかしながら、すべての問題の解決は現状を理解することから始まる。
まずは今回書いたような内容を理解する者が増えてくることを期待しておこう。