学問の小部屋

ここは学問の黒板です。

非常に不愉快な記事がありました。
http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20060517/jasrac.htm

社団法人JASRAC会長船村徹の弁:
「我々は国際的な水準である70年への延長を求めている。しかし、中には70年は長すぎる、もっと短くしろと言う実に不思議な学者がいる。彼らは、“次に来る人がそれをたたき台にして、いろいろ物真似ができる”、“それがタダでできるからいい”とバカなことを言う。こういうのを机上の空論というのだ」と、延長不要論を一蹴。
「我々作家は一曲一曲魂を込めて、一生懸命作っている。これが命の綱。それをどんどん短くしろと言う。そんなバカな話はあるか?」

とのことです。
現在でも作者の死後も著作権が50年間保持されるということ自体がおかしいという声が多いにも関わらず、この期に及んで更に延長したいとは、一体何なのでしょうか?

>次に来る人がそれをたたき台にして、いろいろ物真似ができる、それがタダでできるからいい

反対派の論理の曲解もいいところ、何一つ理解していない言葉です。
音楽とは、自分の過去の音楽経験を下地にして新しい作品を創造するもの。全く音楽を知らない人間には音楽をつくることはできないでしょうし、何らかの形で必ず過去の作品を参考にしています。
既存の音楽にインスピレーションを受けるとは、それをタダで利用して物まねするなどといったアホな解釈では勿論なくて、例えばベルリオーズが表現したかった人間の感情や、ベートーベンの歓喜の表現そのもの、つまり音楽のフレーズを真似るということではなく、何をどうすれば自分の訴えたい魂の叫びを音楽という形で表現できるのかを学び取ることです。
ここをこういう風に表現するとこう聞こえる、ならば自分の表現したい感情はどうやったら表現できるのか?それを考えるために既存の音楽を下敷きにするのです。
第一、全くオリジナルな音楽というものは存在しません。自分が生を受けたときから聴いいる自然の音をはじめとして、必ず記憶の中には何かの音、音楽が残っているものです。音楽を作りたいときに、ここはCelloの音色が合うだろう、いやこちらは一五一会がよいだろうといった音色の選定にしても、過去の音楽経験がなければできるわけがありません。

・・・論点がずれました。更に反論。

>我々作家は一曲一曲魂を込めて、一生懸命作っている。これが命の綱。それをどんどん短くしろと言う。そんなバカな話はあるか?

勿論音楽家にとって作品は自分の子供であり、魂であります。それは僕にとっても当然層です。しかし、それが命の綱とは何でしょうか?ここには全く論理がありません。
今問題にしているのは”死後”70年管理されることがおかしいというのであり、生きているうちに船村氏の作品の利権を剥奪しようというのではありません。更に、もしもこれが作品にとっての命の綱だというのであれば、著作権が切れたら作品が死んでしまうとでもいうのでしょうか?
おそらく、著作権フリーの曲の方が自由に扱える分人の耳に入る機会も多く、唇の上に残ることも多いでしょう。それのどこが作品が死ぬということなのでしょうか?こんなバカはなかなかいません。

また、”国際標準の70年”というのがまたいやらしい。みんなやっているからという論理ではない。元々著作権延長の茶番劇はUSAの悪名高きミッキーマウス法が端を発しており、ディズニー社が自社の既得権益を守りつつグリム童話などを自由に使うために徐々に期間を延ばしていくという方法を取っていることが元凶です。自分が利用したい過去の作品は生かさず殺さず、既得権益はきっちり守ろうということです。
まったく、邪スラク

素直に自分の利権を守りたいと言えばいかが?

邪スラク独占禁止法で訴える人が出てきてくれますように。